輝く鬼は奇しく笑う

妖しく怪しく奇しく

マリオネットじゃだめでしょう。

 

ブログを始めてから、暇さえあれば 次は何をテーマに書こうかなぁ なんてことを考えている。ほんの少し、ブログに翻弄されている僕がいる。

僕は誰にも何にも翻弄されたくない、依存したくない。まぁ誰にも何にもってのは大袈裟だけど。僕という存在がいろんなものと関わり合いながらも孤立しているような状態が一番良いと思っている。例えるならスイスがわかりやすいだろうか。ヨーロッパの中心にあって、様々な国際機関の本部があるけど、EUには加盟していない みたいな。僕は独りでいることは良いことだと思っている。独りでいることは自分をフラットな状態にしてくれる。物事の本質を見極めようとするうえでフラットな状態になるのは必要なことだ。自分について語るのが恥ずかしくなってきたからこの辺でやめるよ:-)

 

※caution

ここから先は僕の考え、憶測がべらべら述べられているよ。韓国めっちゃ嫌いな人は見ないほうがいいかもよ。でもちゃんと見てほしいよ。

あと、僕は韓国好きでも嫌いでもないよ。

 

 

 

 

物事の本質を見極めようとする力が大切だと、twitterで何度かツイートしたが、それについて書いていく。僕たちは自分が所属する集団に対して、肯定的な評価をしている場合が多い。代表的な例は愛国心だ。日本人という集団に属しているから日本という国を肯定的に評価している ということだ。性別、年齢、学校、サークル、大きい小さいに関わらずどんな集団でも同じだ。自分が集団に所属していると、その集団を客観的に評価することが難しくなり、その結果本来の姿、物事の本質が見えなくなる。

 

次は逆のことについて考える。自分の所属していない集団についてだ。この前大学の授業で人間の脳は わからないこと、曖昧なことを避けるようにできている と聞いた。それを聞いて僕はなるほどなぁと思った。

僕たちは自分の所属している集団を肯定的に評価するのとは逆に、自分が所属していない集団について否定的評価をすることがある。これは自分の所属していない集団は わからない存在 であるため、否定的評価をするんじゃないかと僕は思う。なんかレポートみたいね、ははは。反韓を例にして考えてみる。日本に住んでいて、韓国が嫌いだと言う人の中で、韓国という国を熟知している人はどれくらいいるだろうか。恐らくほとんどいないだろう。多分。そのはず。ほとんどの人が、韓国という国の本来の姿を知らないまま、批判をしているんじゃないかと思う。つまり韓国について知らないから、批判をしているという風に考えることができる。

 

そんなことを言っても、「韓国についてだと?ニュースや新聞を見てるから知ってるわボケ」って言う人もいるだろう。でもメディアで報道されている韓国が本来の姿だと言えるだろうか。僕は違う可能性もあると思う。あくまで可能性だよ。日本に住んでいる人が、情報を受けとるときに目にするのは日本のメディアだ。僕たちが受けとる情報はすべて 日本のメディア を通して僕たちの元に届いている。日本のメディアが日本の都合に良いように、韓国の情報を歪めている可能性がないとは言い切れないはずだ。だからこそ、物事の本質を見極めようとする必要があると僕は思う。ただ伝わってきた情報を思考停止で鵜呑みにしてしまうのは良くないことだ。

本来の姿を知らないことは否定的に捉える危険性があるし、知っていると錯覚することはすごく危ないことだ。大切なのは知ろうとすること、物事の本質を見極めようとすることだ。誰かから伝わってきた情報に踊らされるなら、それは人間じゃなくてただの操り人形だ。ちゃんと自分で調べて、自分の考えを持つべきだ。

 

人間らしくあるために、考えるのをやめちゃいけないよ

 

P.S.

今年韓国に行ったんだけど、韓国のキムチくそ不味かった。

友達の言う通りだった。もう二度と買わない。。。