輝く鬼は奇しく笑う

妖しく怪しく奇しく

人生はホークラックス

 

有名な漫画の偉大な藪医者は人が死ぬのは人に忘れられたときだと言っていた。

 

最近二十歳を前にして、僕の人生を振り返っていた。あんまり深く考えていないけど、ほんの少しだけ人生について考えた。人生を語るには、僕はまだ若すぎる。でも二十年ほどしか生きていない僕が一つ答えを出すのも、それはそれでおもしろいなぁと思った。きっと十年後、二十年後と人生は◯◯だに当てはまる言葉は変わっていくだろう。二十歳の僕が出した答えが 人生はホークラックス である。

 

ホークラックスを知っている人は多いと思うけれど、知らない人もいるだろうから一応説明。ホークラックス(別名分霊箱)とは、ハリーポッターに出てくるもので、他者を殺すことで自分の魂を引き裂き、その魂を物体(この物体が分霊箱)に納めることで肉体的に死んでも、完全に死んだことにはならないようにするもの。作中ではヴォルデモートが複数の分霊箱を作っていて、ハリーたちはヴォルデモートの分霊箱を壊し、ヴォルデモートを滅ぼそうと、ヴォルデモートたちは分霊箱が壊される前に、ハリーを殺そうと、ハリーポッターvsヴォルデモートにおいて勝負の鍵を握る重要なものだったね。こうして書くと、人生を分霊箱に例えるのはいかがなものかと思えてくるけれど、大事な部分は 自分という存在を何かに納める というところだ。

僕は人間一人じゃ生きていけないと思っているし、多くの人がそう思っているだろう。生きるためには人との繋がりが絶対に必要だ。どんな人にだってかけがえのない人がいるし、どんな人でも誰かにとってはかけがえのない存在だ。かけがえのない存在になることはすごく意味のあることだと思うし、誰かのかけがえのない存在になるために生きていくことは人生を捧げる価値があると僕は思う。かけがえのない存在には、その人と共に過ごしたすごく特別な記憶があるはずだ。この記憶が分霊箱でいうところの魂で、この記憶を共有した人が自分にとっての分霊箱だ。つまり僕のいうホークラックスとは、親しい人と共に過ごし、特別な思い出を作っていくことで、お互いがお互いにとってかけがえのない存在になるということだ。誰かの記憶や心の中に、深く、大きく自分という存在を残していくことが人生だ。

 

僕は人生の中で、どれだけ誰かの分霊箱になれるだろうか。